あなたの行動を縛っているかもしれないとらわれの話。

この記事は2分で読めます

Pocket

スポンサードリンク

 

 

私はかなりの田舎に住んでいます。

 

家を建てて引っ越した時、訪ねてきてくれた高校時代の友人が、

 

「○○ちゃん、こんなとこに住んで大丈夫?世間から取り残されてしまうよ。」

 

と、真剣に心配してくれたくらいです。

 

当時はまだ高速道路も開通していなかったので、彼女らの住む大きな街から車で数時間かけてきてくれました。(鉄道の駅もありません)

 

途中、峠をこえ全く民家が現れない区間をかなりの時間走ってきたので、よっぽど心配だったのでしょうね。

 

でも、心配はご無用。車で10分も行けば大きいショッピングセンターもありますし、もう10分行けば鉄道の駅もあります。

ただバスは一時間に1本くらいしか通ってないので、車は必需品ですがね。

 

家を建てたのは、結婚してこちらに来て数年たった頃です。

こちらに来た当初は、あまりの不便さに「家(実家)に帰りたい、こんなとこには住めない」と毎晩のように夫に訴えていました。

でも、住めば都とはよく言ったもので、車の運転に慣れてくると別段困ることもなくなって来ました。

そして家を建てたのは、不便だと嘆いたその町の人から「あんな田舎」とバカにされるようなさらなる田舎。慣れって怖いものです。

 

ここは、春と夏には鶯の声が聞こえ、夕暮れには周りの山々から鹿の鳴き声が聞こえるところです。

植林の山は少ないので、紅葉も美しい。

幹線道路から一段下がったところにあるので、道路沿いの割にとても静か。

季節のいい時は庭でバーベキュー。椅子に座ってただぼーっとするだけの時間も素敵。

夫は数年前から燻製を始め、自家製ベーコンを周りに配っています。

彼の計画では、今年中にピザ窯を作る予定だそうです。

 

私を心配してくれた件の彼女は、「流行の最先端の情報をキャッチしていないと不安」と言っていました。彼女の仕事柄、そう思う気持ちもわかりました。

 

でも私にはその情報は必要ないものでした。だから世間から隔絶されたような田舎にいても平気。(実際は全然隔絶されてないですけどね。)

情報をキャッチするよりも、四季折々の山の色の変化を楽しむ方が私にとっては重要なことでした。

 

このお正月に、高校時代の同窓会があり、10年ぶりくらいで、件の彼女に出会いました。

会っていない間に私も彼女も随分いろんなことがあったんでしょう。(あまり突っ込んで聞いたりはしてません。きっとそれなりの年齢の人は多かれ少なかれ色々あるんです。)

 

「あの時、あんな不便なところに越して行った○○を心配したけど、今ならわかる気がする。」と言われました。

 

特に深い意味や思想があって田舎に引っ込んだわけでもなくて、お手頃価格の土地がそこにあって、車の運転にも自信がついてきた頃で、もともと中程度の街出身の私にとって今いる小田舎もど田舎も同じ田舎じゃん?くらいの軽いことだったのですけどね。

 

何か自分の中にこだわりがあると、他の人には簡単なことなのにものすごい高い壁があるように感じてしまう。

どんな人にもこだわりやとらわれがあるけれど、気がつかない間にぽん!とそこから抜けてしまうこともあれば、ものすごく苦労することもある。

 

私は車の運転ができるようになって、「便利なところでなければすめない!」というとらわれがなくなりました。

今は逆に「人の多いところには住めない」というとらわれがあるかも。

 

でも、一つずつでもそのこだわりやとらわれを手放すことができれば、今まで見てきた景色が全然違うものに見えてくるし、新しい生き方も見えてくるはず。

 

これからは、今までため込んできたこだわりやとらわれを少しずつ手放していければいいなあと思います。

 

 

都会がいいとか、田舎がいいとか、そんなのどうでもいい話でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スポンサードリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

スポンサーリンク




カテゴリー

管理人:茶々郎

こんにちは。茶々郎です。

京都の「ど」がつくど田舎、「どど田舎」に住むアラフィフ。

好奇心旺盛、でも引きこもり。着物好き。メカ好き。PC好き。読書好き。運動神経抜群(自称)。

詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。